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公開 ・ 2024.10.24
2015.01.10 (Sat) ~ 11 (Sun)
昭和8年(1933年)2月、名探偵として名高い勝呂武尊は下関駅から東京へと向かう豪華寝台列車「特急東洋」に乗車する。季節外れでありながら列車は満席であったが、鉄道省重役の莫と偶然再会した勝呂は彼に一等客室を譲ってもらい一緒に乗車する。 さまざまな階級の人々が乗り合わせる車内で、勝呂は悪人と噂される実業家の藤堂修に身辺警護を依頼されるが断る。その深夜、勝呂は寝台車内で物音や人の声を聞き、列車が停止していることを知る。 翌朝、勝呂は莫に、線路への雪崩のため列車が関が原で立ち往生していること、車内で藤堂が刺殺体で発見されたことを聞かされ捜査を依頼される。勝呂は乗り合わせた医師の須田とともに現場検証し、食堂車で各人に事情聴取をする。調べでは藤堂が5年前に剛力家の令嬢・聖子を誘拐の上殺害しながら無罪放免となり、関係者を不幸に陥れ恨みを買っていることもわかる。 勝呂は現場の状況と証拠、および彼自身の見聞きしたことから外部犯行ではないと判断し、寝台車の乗客の中の剛力家の関係者が犯人であると推察するが、乗客全員が互いに犯行時間のアリバイがあることを証言する。勝呂は聴取を進めるうち、乗客のすべてに剛力家との関わりがあることを突き止める。勝呂は謎の答えにたどりつき、全員を食堂車に集め、真犯人たちを指摘する。 この事件から遡ること5年前の昭和3年(1928年)、剛力大佐の幼い娘・聖子が誘拐され身代金が要求される。剛力は軍人のプライドから当初身代金の支払を拒否するものの、戦友で親友でもある能登大佐の進言により前言撤回し身代金を支払う。しかし聖子は殺され、警察の捜査により「笠健」こと笠原健三が逮捕・起訴されたが証拠不十分で無罪となる。 聖子の母・曽根子は心労で胎児とともに病死し、剛力大佐も責任を感じ拳銃自殺する。更には犯人との繋がりを警察に疑われた小間使いの小百合も抗議の獄中自殺をし、主を失った剛力家の使用人たちは離散する。元女優の淡島八千代こと曽根子の母・羽鳥夫人は意気消沈の日々を送り、笠原の殺害を望むが、次女の浪子に完全犯罪による復讐をすべきと諭される。 曽根子の名付け親である轟ナツ侯爵夫人を加えた3人は、聖子の元家庭教師で頭脳明晰な馬場舞子に依頼し、彼女や戦場での経験のある能登らが計画を練るうちに、曽根子に思いを寄せていた幕内平太、浪子の夫・安藤伯爵のほか、剛力に恩義を感じる元使用人らが次々と仲間に加わる。 一同は羽鳥夫人の下、藤堂と名を変えた笠原が真犯人であることを確かめた上で、全員参加でなるべく他者に迷惑もかからず、かつ参加者の中から一人の逮捕者も出さぬように実行のチャンスを狙うが、計画はなかなか実行できず困難な道を進む。 オリエント急行殺人事件の裏側 それから5年経ったある日、藤堂が「特急東洋」で下関へ出張することになり、一同は彼が一人になるチャンスとしてついに計画実行を決断する。同列車の車掌を務める小百合の父・三木武一を説得して協力を取り付け、笠原への「汝剛力聖子を忘るるなかれ」という脅迫状を一字ずつ書く。総勢13人となった彼らの犯行は他の客に迷惑をかけないよう、寝台車の客室をすべて自分たちで埋め計画が進むはずだった。 しかし当日、笠健の隣室の6号室は莫が予約中で、実行メンバーから外されていた浪子が乱入したり莫が名探偵の勝呂に自身の客室を譲ったりするなど予定外の出来事が多発する。舞子たちは勝呂を意識してさまざまなフェイクを仕掛けておくが、大雪で列車が止まったことにより外部犯行に見せかけることが難しくなる。それでも深夜、浪子を除く12人は予定通り、藤堂の体にナイフを一回ずつ突き刺して殺害する。 翌日、勝呂の推理により完全犯罪が見破られ、一同は運命を彼の判断に委ねる。勝呂は莫や須田の意見を聞き、13人のうちのひとり・保土田を列車外の雪の上で走らせ、外部犯行の証拠となる足跡が「ない」ことをごまかし、外部犯行説とする警察への報告書を提出すると宣言する。こうして13人の復讐は達成され、物語は終了する。