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公開 ・ 05.13
by.momoy_y https://repov.me/ja/record?id=3016905 --------------- 元の投稿 --------------- 評価: ★5.0 この映画は、明らかに“語ることを放棄した作品”だった。でもその放棄の仕方がとても計算されてる。静寂も、沈黙も、無意味さえも、すべてが何かを示すために配置されている。だからこそ、観ている側は自分の中にある「解釈の装置」を起動せざるを得ない。 少女が持つ卵、それは「内側にあるもの」を象徴してるように見える。中身が見えない、けど壊すのは簡単。それって、たとえば信仰とか、夢とか、自我そのものだと思う。大切にしてるけど、守るしかできない。開いてしまったら壊れてしまうような、脆くて曖昧なもの。 あの男の存在は、物語の「外部」から来た人に見えた。世界を一度壊してきた人、あるいはすでに壊された後に生きている人。彼は説明しようとする。でもその説明には空虚さがある。過去の神話を語っても、そこに生きてるものの気配はない。少女の世界に入り込むけど、理解することはできない。だからこそ、彼は卵を壊してしまう。それは「理解しようとする者が、信じる者を壊してしまう」構造にも見える。 魚のいない海、羽を持たない天使、動かない影——この世界には「本来そこにあるべきもの」がすでに失われている。それでも少女は歩き続けるし、水を汲むし、卵を抱く。それは、意味がなくても続けてしまう営みそのもの。信仰のかたちであり、生きるということの比喩でもある。 ラストで少女がいなくなり、代わりに巨大な像が現れる。その像は「彼女の残滓」なのか、「彼女が求めた神のかたち」なのか。もしくは、その両方を曖昧に重ねているのかもしれない。いずれにしても、“物語”は語られずに終わる。ただ、問いだけが静かに残る。 『天使のたまご』は、言葉にならなかったことにこそ価値を置いている。私たちは、説明されないものの前に立たされて、そこにどんな意味を見つけるかを問われている。それは苦しいけど、同時にとても誠実な映画だと思った。